コラム 「ちょっとした哲学講義」

実は、先日、酒場で、私の拙い知識にもとづく哲学講義をしてしまいました。

内容は、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガーなどの哲学者が要するに

どういうことを考えていたかということで、内容の正確性については、

保証のかぎりではありません。

しかし、こういう話しに周りの人がまったく興味をもっていない訳ではないことに驚きました。

そういうことで、私としては、ますます勉強して分かりやすくお話ができるように意を強くした

訳であります。

カントは、理性というものに着眼して、それを批判しつつそれを強く認識しています。

私はこの理性こそが、人に生きがいや希望を持つことを阻害しているのではないかと思うように

なってきました。

毎日の生活で忙しく、理性にもとづく根源的な問いなんぞしない方が幸せではないかと思うのです。

考える時間が与えられると精神的に病んでしまうことがあります。

ひきこもりの人たちに生きがいを見つけるにはどうしたらいいかということですが、

時間を与え、ひきこもっている以上は、生きがいなどは考えられませんね。

 

「現代はそもそも生きがいのもてない時代」とか言っている人がいますが、

そういう人には「現代がもっているごまかしについて本当に考えたことがあるの?」と言いたい。

かといって、ひきこもりの人を私は肯定しません。

おろおろする親を痛めつけ、自殺するとか脅かし、卑劣極まりなき方法で喜んでいるだけにも

見受けられます。

 

ただ、私は、理性というものがそういう状況を作り上げる要因をもっているものであると

言いたいのであります。

 

前に戻り、再びカントなんですが、カントは、誠実に生きることを、その著書「実践理性批判」で

言っています。

要するに、大事なことは、自分を大きく見せようとせず、自分が不利益、他人が不利益になろうと

真実を貫き、傲慢であってはならないというようなことを言っています。

 

なかなかできないことですね。

多くの人は、その生き方において、とにかく無難にうまく、しかも楽に生きたいと思うじゃないですか。

そのためには、真実も曲げたり、言いたいことも言わず、黙っていようと思うじゃないですか。

 

自分の信念をもって貫き通すことはよほどの覚悟がいりますよね。

自分に厳しく、他人に寛容に生きることも辛いです。

また他人から理不尽な非難を受けても、やむを得ないという覚悟が必要になっていきますね。

 

しかも、この国では、それに加えて謙虚さまでもが要求されるにいたっては、

考え込んでしまいますね。

  mae  

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