コラム 「現代社会とは」

現代社会は経済的に豊かになったが、従来の共同体の拘束力が弱まり、

個人の自由が拡がった。

このことは良いようにも思えるが、その反面、社会はパラパラの砂粒のような人々を

入れる砂の器になってしまった。

だからといって共同体の拘束力を強めることは危険が伴う。

 

社会の物質的豊かさは経済の充実をベースにしている。

この経済を動かすものは人間の物質的金銭的な欲である。この欲こそが社会を豊かにした。

そして、その豊かさの陰にはその犠牲になった人々も多い。

 

それを救済しようとしたのが、社会主義であったが、それも1989年のソ連の崩壊により

有効なものではなくなった。

中国も社会主義市場経済とはいうものの、その実体は一党独裁資本主義であるといわざる

を得ない。資本主義における富の蓄積は欲から出ている。

 

仏教的な考え方からいえば、そのような欲を否定するのであるが、キリスト教的に

考えると、マックス・ウェーバーの「プロテスタンディズムの倫理と資本主義の精神」

という本に代表される「世俗的禁欲」として禁欲的な使命として蓄財が説明されている。

 

が、しかし、私は、これについては理解できない。

とにかくキリスト教では資本主義と結びつけるところがあるのである。

日本の多くの人は、一応仏教的である。それなら、本当に資本主義的になれるのか

疑問であると最近は思うのだが、どうだろうか。

  mae

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